YUIのスクールライブの動画を見ていて感じていた
違和感についてちょっと考えてみました。
YUIが高校の吹奏楽部の演奏と合わせてライブを行うという、
テレビCMでも使われている動画。
YUIは、人気のアーティスト。そんな人と一緒に
演奏できた学生は一生の思い出になると思うのです。
私だって大好き、だってカワイイし、歌も好きだし、可能なら会ってみたいし、
二人で話してみたいし、あわよくば付き合いたいし・・・w
そう、でも、(普通は、というか大半は)そうはならない。
つまり、その他大勢の人にとっては、「非日常」なのだ。
YUIが自分の学校に来て、一緒に演奏できる、
もしくは、スペシャルライブを観ることができる。
そういったものは、「非日常的な世界」なのだ。
だから強烈な印象になるし、感動も沸き起こる。
非日常的な世界なのだから、強烈な違和感(感動)でいっぱいなのだ。
ただ、その非日常的な世界に、唯一、日常的なものがある。
それが、YUIが首からさげている「ウォークマン」。これだけが、
日常的なもので、非日常的な世界に違和感(不要)を持ち込んでる。
この、「日常」と、「非日常」のバランスは興味深い。
・喫茶店は非日常的な世界だ。座ってお茶を飲むのだが、自宅ではない。
・家でご飯を作って食べる。それは日常だ。
・将来の夢、将来の職業は、未来の日常であって、今は非日常なのだ。
この、立ち位置の関係性が面白い。
・喫茶店は、日常の中に潜む非日常的な世界だ。
・将来の夢は、日常の先にある非日常的な世界だ。
ユーキャンのシカクムービーは、日常の先にある非日常だ。
では、YUIのスクールライブはどうなのか。
非日常的な世界の中に、日常を持ち込んでいる。
日常の中、先、にある非日常と、非日常の中にある、日常。
これは、ものすごく大きな違いがある。
日常から抜け出して、非日常に酔うのだから、
非日常の中に、日常を持ち込んでは、非日常が台無しになってしまう。
■日常 ⇒ 非日常 の流れ
つまり、非日常というものは、それだけ大きな力を持っているのだが、
非日常を起点として、日常を表現することは、非常に難しいという事なんだろう。




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