「主観」を磨くということがすごく大切だと考えてる。
「客観」というものは、自分ではない当事者(達)もしくは第三者(達)が、
「主観」的に納得感を得られるもの、である気がしているから。
10人の人が、「あ、それは客観的に捉えているね」と答えても、
もしかするとそれ以外の100人が、「それって、主観的じゃない?」
となることもままあると思う。
もちろん、自分の頭の中だけで解決はしないので出来る限り外部から取り入れ、
主観の総和である主観に到達するための主観を磨く。
極論、「真理の追究」と言い換えてみてもいいかもしれない。
しかし、ずっと答えに到達することは無い。
到達するはずの無い答えの追求。改めて、日々精進しようと思った。




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